サロン経営総合研究所(福岡県春日市)は理美容サロン経営者・独立、起業をめざす方のため、50年の現場経験をもとに経営をコンサルティングします。

ジャンプ台のお父さん。

2017-12-14

「ジャンプ台の父さん」
田口信夫(国際スキージャンプスターター、田口塗装店社長)
『致知』2006年7月号「致知随想」

 

札幌市内が一望できる大倉山シャンツェ(ジャンプ台)。凍えるような冷たい風が吹き抜ける中、スタート地点に立つ私は入ってきた選手のゼッケンを確認し、スキー板の金具がきちんと留まっているかを確認する。そして風を読む。
大倉山であれば市内から吹いてくる暖かな風が最高だ。風の違いを感じ分けるのは半世紀に及ぶ経験からくる皮膚感覚である。頬に受ける微妙な風向きや強さ、温度差からジャンプのスタートのタイミングを計るが、
それは決して勘ではなく、その瞬間にあらゆるデータを正確に読み取り、最適な判断を下してGOサインを出す。それがジャンプのスターターである私の仕事である。
自分もまた元はジャンパーだっただけに、スタート台に立つ選手の緊張感、そして急斜面を時速九十キロ前後の猛スピードで滑り降りて、大空に舞い上がり“鳥”になれた時の爽快感はよく分かる。
ジャンプとの出合いは約七十年前、小学校三年生の頃だった。冬になると近所の川原の堤防に雪を積み上げ、ミニ・ジャンプ台を作って遊んだ。

飛ぶ前の恐怖感、そして飛んだ時の「小さな鳥」になったような感じが病みつきになり、旧制中学では本格的にスキー部でジャンプ競技に打ち込んだ。

卒業後、いったんは札幌財務局に入局。しかし知人の「塗装の仕事は夏がほとんどだから、冬は君の好きなジャンプがいくらでもできるぞ」の一言から、塗装屋になってジャンプに打ち込んだ。
国体に出場するまでになったが、二十代半ばの競技会で着地に失敗し転倒。 それが原因で現役続行は不可能になってしまった。それだけにスターターとなったいまは、選手たちに安全に飛んでほしいという気持ちが何よりも強い。
現役引退後もジャンプへの情熱は冷めず、 塗装業の傍ら札幌スキー連盟に籍を置き、飛行距離の測定や少年たちのジャンプの指導にあたっていた。
ある日、先輩で往年の名ジャンパー・若本松太郎さんから「おまえは寒さに強そうだからスターターをやれ」と言われ、スターター人生が始まったのである。

あれから半世紀近く経ち、もう八十歳に手が届きそうだというのに、今シーズンは六十二の競技会に呼ばれ全国を回った。

日本に国際試合の資格を持つスターターは私のみ、 世界でも十七名だけとあって、私が倒れると海外から招聘しなければならない。決してうかうかと体調を崩すことはできないのである。

ジャンプ競技はトライアル飛行も含め、一人三本のジャンプを飛ぶ。普通は三時間程度、雪や風の条件などで一時中断すれば五時間に及ぶことがあるが、その間、厳寒の中で立ち尽くし、スタートの合図を送らなければならない。

完全防寒で臨むが、使い捨てカイロなどは火傷の危険性があるので持たないようにしている。何より集中力を切らしてはいけないし、代わりの者もいないため、トイレに行くことも許されない。だから試合前日からほとんど水分を取らないように努めている。

試合後は腹の底まで冷え切っているため、家に帰っても震えが止まらない。一度熱い風呂に入り、少し時間を置いて もう一度風呂に入って、やっと体温が 平常に戻るほどスターターとは過酷な仕事なのだ。
さすがに「もうやめてしまおうか」と思うことがたびたびあるが、風呂から上がり、自分がスターターをした競技のビデオを見ると、またジャンプに魅せられてしまう。

何しろ競技中は飛び出していく選手の後ろ姿しか見ていないため、その後どんな飛び方をしてどんな着地をしたのか、ビデオで初めて知るのである。

同時に自分のスタートの判断がどうだったかも如実に分かる。「あぁ、あれはまずかったな。次はもっとこうしよう」と反省して、また次の競技会へと行ってしまう。
要するに、やはりジャンプが好きなのだ。これまでのスターター人生でたくさんのジャンプに立ち会ってきた。
一九七二年、日本初の冬季五輪札幌大会で、栄光の「日の丸飛行隊」が表彰台を独占した時に、スターターとしてジャンプ台に立った感動はいまも忘れない。

あの時の笠谷、青地、そして最近では長野五輪で活躍した船木、原田、葛西……。
彼らは皆、少年の頃私が指導した選手であり、息子同然の間柄である。

ジュニアを巣立つ時、「大倉山で待っているぞ」と送り出した少年たちが、数年後「田口の父さん、約束通りやってきました」と、逞しい青年となって雄姿を見せてくれることが、何よりの喜びである。
引退した原田は、引退発表の前日、私の自宅へ挨拶に来てくれた。「ご苦労さん」と言って酌み交わした酒は、また別格の味わいだった。
原田だけでなく船木も葛西も、私が妻に先立たれ三十年近く一人暮らしなのをいいことに、「父さん、いますか?」とフラッと遊びに来てはワイワイと騒いで楽しませてくれる。
彼らと築いた師弟のような、親子のような温かい絆が私の人生の財産といえる。もっとも、最近は 「札幌のジャンプ少年たちの父さん」だけではなくなったらしい。
ある教え子がこう言っていた。「この前のワールドカップで、チェコの選手に『大倉山のパパは元気か』と聞かれたよ」

世界中の“息子たち”に素晴らしいジャンプを飛んでもらうために、体力が続く限りスタート台に立ちたいと思っている。

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